G.R.E.S. アカデミコス・ド・グランヂ・ヒオ 2012


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"私は君を信じる!君は?"

2011 年2月7日の朝、G.R.E.S アカデミコス・ド・グランヂ・ヒオは、自身のカーニバルの歴史が新しい道筋をたどることとなったことを知りました。間近にせまったパレードに備えて作成し ていたもの、および、作業小屋の建屋全体、23年間引継がれてきたあれこれを、焼失したのです。あの日、私たちは全てを失ったかのようでした。目に映るの は崩壊した光景で、心に浮かぶのは喪失感ばかりでした。作業小屋に残ったのは、水曜日を待たずに灰と化した、カーニバルの残骸ばかりでした。

同 じ週内に、グランヂ・ヒオの本部でリハーサルがありました。メンバーは悲しんでいました。グランヂ・ヒオは決して幸せではありませんでした。しかしなが ら、その中でも偉大なことがありました。リハーサルでは、誰も歌うことをやめようとしなかったのです!そこで、メンバーたちの涙と歌の中に、今回私たちが 提示するカーニバルのエンヘードの着想のヒントとなる感覚が湧きあがりました。カシアスの人々にはわかっていたのです。我々の目の前の、なすべきことが。 火災によって落胆した人たちに対して、なにをなすべきかを参加メンバーが示したのです。それは、克服です!

今回私たちが提示するシノプス は、目の前に現れた障害を克服しなければならなくなったときから、私たちが共有してきた感覚が結実したものです。もちろん、グランヂ・ヒオ固有の事情を反 映していますが、同時に、克服という行為が、人生に深く関係し、繰り返し発生するものであるということを示すものでもあるのです。何人かの人生を覗き見 て、私たちは障害にあたった後に再起する力について確信せざるを得ない、信じられないほどの実例を見つけることができました。

それゆえに、私はあなたを信じます!あなたは?

私は君を信じる!君は? (克服の物語)

「我々の最大の栄誉は、一度も倒れないということによるものではない。むしろ、倒れるたびに起き上がることにある。」(孔子)
(訳注:『D.カーネギー名言集』に孔子の言として記載されて広まったことによるもので、実際はオリバー・ゴールドスミスの発言と推定される。)

諦 めろなんて言わないでください。私は信じて前へ進みます。道を辿ることしかできないのですから!私は落胆しません。倒れても、起き上がり、必ずや頂点へと 返り咲くのが私の定めなのです。この力は、私の中に備わっているものではありません。天からの約束を受け継いだ者にとっては、勝利とは確実に存在するも の、訪れるのを待つだけのものなのです。雲の間から、天使が知らせてくれました。「失望しないで。落胆にあなたを支配させてはいけない。困難から目を離し て、私を見なさい。」

その言葉につれて、空が地面に向かって降りてきました。空の高みからもたらされる、熱狂の豊かな源泉。敵に向かう私 を導く父なる神の守護。それは克服することを学ぶことの重要さを示すありがたい例でした。空を見つめながら私は、さっきまで嵐のようだった雲のバリアを破 る、輝くような熱を感じました。大しけのあとにやってくる凪いだ海で泳ぎます。こうして私は心を慰め、活力を得て、新しいカーニバルを作り上げます。堂々 と再生する全て、障害に立ち向かい、打ち勝つ全てのものが、私がカーニバルを立ち上げるうえでの想像を膨らませてくれるのです。

失恋した ときは、次に備える時間を持ちます。健康を害した時も、回復を待ちます。私には、立ち向かうことができない怖れ、悪習、偏見などはありません。逸失や痛み に立ち向かい、知恵をもって怖れに勝ち、不愉快なことは笑い話のネタにして、有名な処世術の話をします。「大きく」見える問題に怯えてはいけません。不可 能に見えることをもって失望してはいけません。我々は、毎日、恐るべき巨人たちに立ち向かい、それを倒さなければならないのです!

例えになりそうなお話をしましょう。もし私の耳が聞こえなくなっても、想像力を働かせて、無音の中でメロディーや歌を作ります。私の目が見えなくなっても、多くの人に向かって声を発し、歌で輝く光を作り出します。

痛 みにさいなまれる時には、その痛みを、祭壇を飾る最高に美しい装飾となる切り込みを入れるきっかけとします。貧しく生まれても、人生に問題がつきまとって も、痛みに押しつぶされそうでも、私は相手に笑顔を見せ、腹を割った態度で立ち向かいます。スポットライトが私を祝福してくれるように!人生が私を試すよ うでも、私が必要だと思うものを取り上げてしまっても、両手に力が入らなくなっても、神から与えられた力が輝き、オーケストラが立ち上がることでしょう。

克 服のためならば、私は敢えて困難を受け入れます。シャツを汗で塗らし、遠くまで走ります。私の身体は、この試練への準備ができています。必ずや目的地にた どり着きます!私は、表彰台に上りたいのです。勝利の月桂冠が欲しいのです。「克服したで賞」が欲しいのです。私は揺らぎ、屈し、それでも諦めず、そうし て克服の例となったのです!

勝利を目指す戦いにおいては、私は英雄、アスリートです!聖なる追い風を受け、直線を走り、ボールを追って走 り、そうして一人の怪物が立ち上がるのです。私は船の帆をつかみあげ、痛みは青く染まった海で洗い流します。澄んだ水を、サメのような力で泳ぎ、クロール で世界を動かして見せます。自分の足を使おうと、車を使おうと、雲に届くほどに跳ぶ私を導くのは、克服です!

人類の歴史からも例を引きま しょう。人が他人を助ける限り、総体として癒せない痛みはありません。一日が過ぎ、一晩が過ぎ、時が経てば、悲しみも遠い過去のこととなります。ある朝の 爆発で広がったものも、今日ではめくられ終わったページに過ぎません。もはや誰も見たことすらない「枯れたバラ」なのです。

破壊されたものも再建されます。「黒」が「白」ではないところ、「白」が「黒」ではないところに、新秩序の声が起こり、連帯が告げられました。兄弟に手を差し伸べ、レンガを一つずつ積み上げ、涙を一滴ずつ落とし、我々は高邁な思想を掲げ、一国を再建しました。

風 が緑と黄色の旗をはためかせ、克服の例である子供たちを、私たちの目の前で輝かせます。彼らは、ありふれた「ジョアンたち」、「マリアたち」、「シウバた ち」、裸足で駆け回る「がきんちょたち」です。アスファルトの上で働く人がいます。戦う人、勝利する人がいます。差別を乗り越えた女性たちがいます。「干 ばつ」や「過積載の労働者トラック便」を乗り越えて、一国の指導者の地位にまでのぼりつめた男たちがいます。街に残るバラックから飛び出していく若者たち がいます。争いを克服の修練とする母親たちがいます。地面から土埃を立ち上げる男女、手でサンバを打つ勇ましい人々、回るバイアーナ、ベーリャ・グワルダ の笑顔、地面を削らんがばかりに強く踊るパシスタ、心臓の鼓動を現すバテリア、「屈するが壊れない」人々、ある言葉の意味を最も純粋かつ明確に示す例とな る人々。その言葉こそ、克服!

カエー・ホドリゲス(カルナバレスコ)
調査・執筆: レアンドロ・ヴィエイラ、ルーカス・ピント、カエー・ロドリゲス

このエンヘードを、2011年のカーニバルをともに立て直し、会場において根性と献身と愛と友情と連帯と克服のパレードを実現させた、?全ての職業者、芸術家、ボランティアの皆さんに捧げます。


(サンバ・エンヘード)
作: エヂスプーマ、リシーニョ・ジュニオール、マルセリーニョ・サントス、フォカ

空から届く光が
私の目の前で輝いた
希望をもたらした
天使が伝えてくれたこと
諦めず戦うこと
灰からよみがえること
信心のなかで見つけた
勝つための力を
幸せが知らせてくれた
克服することが必要であると

私は「巨人」を倒す
それが勇気と愛の試練
私は「正義の戦士」この道を歩む
私についての話が君を感動させるだろう

生きるすべ
それは日々学ぶこと
想像力を使えば
メロディー音ですら
掴むことができる
心が導いてくれるとわかっている
落胆などせずに前へ進む
人生を大きな「祭り」にする
夢見るのに制限などないと信じる
「車輪が回り」正解が導き出される
手を貸して、自由のために
私はブラジル人、悲しみにはさよならした
私にはわかる、我々の時が来たと

私の泣き顔を見た人に、今度は笑顔を見せてやる
私は君を信じる、困難に向かっても
私は心を開く、感動を歌って
克服、それがグランヂ・ヒオのカーニバル


パレード構成・アーラ毎のコンセプト(PDF)

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