G.R.E.S. モシダーヂ・インデペンデンチ・ヂ・パドレ・ミゲウ
創立: 1955年11月10日
チームカラー: 緑+白
シンボル: 導きの星
「パドレ・ミゲウ(地名)の独立した若者」。地名(「ミ
ゲウ司祭」)は、同地で、学校、図書館、養護院の設立等の福祉向上に貢献したカトリック司祭、モンセニョール・ミゲウ・ヂ・サ
ンタ・マリア・モンションに因んでつけられたもの。本拠地については丘の名前、ヴィラ・ヴィンテン(「お金が丘」)で紹介されることもある。
1955年、サッカーチーム、インデペンデンチFCを母体として、地元のサンバ・コンクールに出場。1957年から中心部のパレード
に参加し、2部で5位。1958年には2部優勝。以後、トップリーグに定着している。
伝説的ヂレトールであるメストレ・アンドレの指揮するバテリアは当初から「エスコーラを支えるバテリア」として認知されていた。1958年には、曲中のリ
フレインに差し掛かったところで、アンドレが転倒し、バテリアが停止してしまった。あわや大失敗というところだったが、起き上がったアンドレがタイミング
よくヘピニキにシャマーダ(ピックアップ・フレーズ)の指示を出し、メロディの節目と合わせてバテリアを復帰させることに成功した。これがパラヂー
ニャ(ブレイク)の始まりと言われる(アンドレの息子であるアンドレジーニョの談話より)。パラヂーニャは、アトラベサメント(歌詞飛び)のリスクを伴う
が、モシダーヂが誇る高い練度のバテリアはこれに挑み続け、やがて他エスコーラの追随をよび、バテリアの見せ場として定着するようになった。
しばらく、中位に定着した後、1970年代後半から、ジョーゴ・ド・ビッショ等の賭博の元締であるカストール・ヂ・アンドラーヂからの資金提供を受けるよ
うになり、押し出しの強いビジュアルを獲得した。また、アルリンド・ホドリゲス、フェルナンド・ピント、ヘナート・ラージ等の名カルナバレスコの指揮を受
け、1980年代から1990年代のカーニバルをリードし続けた。1990年代後半以降、インペラトリスの勃興と入れ替わるように勢いに陰りを見せ、中位
が続いている。伝統のバテリアについては、ウニアォン・ダ・イーリャ、サウゲイロ、ベイジャ・フロール、グランヂ・ヒオを渡り歩いた、バテリア指導に定評
のあるオヂロンを迎え入れ、生え抜きのアンドレジーニョ、ベレッコ、ドゥドゥおよびプレジデンチのパウロ・ビアーナと合わせた五頭体制で梃入れを図った。アンドラーヂ家のサポート再開に合わせ、勢いは増しているはずだが。
エンヘード
- 1955年 ? 地元のコンクール優勝
- 1956年 「カストロ・アウベス」 地元のコンクール
- 1957年 「バラの舞踏会」 2部5位
- 1958年 「サンバへの祈祷」 2部優勝−昇格
- 1959年 「歴
史に残る偉人達」 5位
- 1960年 「歴
史的名言」 7位
- 1961年 「リ
オのカーニバル」 7位
- 1962年 「文
化的分野におけるブラジル」 5位
- 1963年 「(ミ
ナス・ジェライスの)多くの鉱物資源」 6位
- 1964年 「一
束のバナナ」 7位
- 1965年 「ハッ
ピー・バースデイ・リオ(400歳)」 6位
- 1966年 「ブ
ラジル文学院」 6位
- 1967年 「ブ
ラジル演劇通史生」
7位
- 1968年 「絵
画的なブラジル紀行」 6位
- 1969年 「フ
ランシスコ・アドウフォ・ヴァルニャーゲンの生涯と栄光」 7位
- 1970年 「ぼ
くのスイートオレンジの苗木」 4位
- 1971年 「サ
ウダーヂ狂詩曲」 9位
- 1972年 「ル
ンドゥの時代の、混血の女王」 7位
- 1973年 「リ
オ、ゼ・ペレイラ(サンバ)」 7位
- 1974年 「聖
なるものの祭」 5位
- 1975年 「ウ
イラプルー族の幻想的な世界」 4位
- 1976年 「ガ
ントワの聖母」
3位
- 1977年 「サ
ンバ(商標登録済)」 8位
- 1978年 「ブ
ラジリアーナ(イタリア的なブラジル)」 3位
- 1979年 「ブ
ラジルの発見」
優勝
- 1980年 「素
晴らしき熱帯」
4位
- 1981年 「喧
噪のために道を開けてくれ−モシダーヂがやってくる」 6位
- 1982年 「シ
コ爺」
7位
- 1983年 「私
のシング―がいかに緑であったことか」 6位
- 1984年 「マ
マ、ぼく、マナウスがほしい」 月曜日の2位、スーペルカンペオナート3位
- 1985年 「ジ
リギドゥン2001、星間カーニバル」 優勝
- 1986年 「老
婆の櫃の魔術とストーリーで、なぜだめなの?」 7位
- 1987年 「トゥ
ピニキン族の都市」 2位
- 1988年 「投
げキッス、投げキッス、バイバイ、ブラジル」 8位
- 1989年 「感
情という名の列車」 7位
- 1990年 「変
われ、変わった、モシダーヂが来た」 優勝
- 1991年 「ス
イスイ、水が渦巻く」
優勝
- 1992年 「夢
を見るのはタダ、あるいは、ほぼタダ」 2位
- 1993年 「光、
けが人、僕が王様」
4位
- 1994年 「ブ
ラジル通り、皆が通る、見なかったのは誰?」 8位
- 1995年 「ミ
ゲル司祭、我々をご覧あれ」
3位
- 1996年 「創
造主と創造物」 優勝
- 1997年 「身
体と魂で通りに」 2位
- 1998年 「空
に輝く、私に夢を見させてくれる星」 6位
- 1999年 「ヴィ
ラ・ロボスとブラジルの神格化」
4位
- 2000年 「緑、
黄、白、青が2000年のブラジルを彩る」 4位
- 2001年 「平
和と調和、モシダーヂは明朗」
7位
- 2002年 「謎
の大サーカス」 4位
- 2003年 「永
遠にあなたの心に、寄付のカーニバル」 5位
- 2004年 「急
ぐな、殺すな、死ぬな。モシダーヂが車だすから。」 8位
- 2005年 「ブォ
ン・マンジャーレ、モシダーヂ!食卓は芸術だ。」 9位
- 2006年 「神
が注文した生命」 10位
- 2007年 「過
去未来、手作りの歴史」 11位
- 2008年 「第5
帝政、ポルトガルからブラジルへ、歴史上のユートピア」
8位
- 2009年 「モ
シダーヂ提供、文芸倶楽部。マシャード・ヂ・アシスとギマランイス・ホーザ、詩の星々」 11位
- 2010年 「神
の楽園から狂気の楽園へ。一人一人が探すべきものを知る。」 7位
- 2011年 「聖
なる種まきの放物線」 7位
- 2012年 「ポルチナリ、君に捧ぐ(ポルチ): キャンバスを破り、現実へ。」 9位
- 2013年 「オレはモシダーヂで行く、サンバとロック・イン・リオとともに」 11位
- 2014年 「ペルナンブコーポリス」 9位
- 2015年 「世界の終わりが来て、あと一日しかないとしたら、キミはどうする?」 7位
- 2016年 「ラマンチャのブラジル: 我こそはミゲウ、パドレ・ミゲウ。我こそはセルバンテス、騎士キホーテ、ブラジルのピショッチ(若造)」
- 2017年 「ある青年の千一夜−マラケシュにて」
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