サンクレメンチ 2013


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“高貴なる時間(ゴールデン・タイム)”


「受話器は上げたままにしといて。ドラマのあとで会おうよ。
私はいないの。誰にも誘われたくないの。誰にも話しかけてほしくないの。
泣きたいの。笑いたいの。あの恋人を応援したいの。いつまでもお幸せにって!」


オンエアー:テレビドラマとエスコーラ・ヂ・サンバのパレード。どちらも世界に羽ばたくブラジル流の成功例さ。芸術性と大衆性、ブラズーカ(バ スーカ的破壊力を備えたブラジル)な人々を形作る行動様式を、パーッと表現したもんなんだ。オレ達はみんな一緒でまぜこぜだ。誰であろうともお構いなし、 奥様でも家政婦でも、じいさんでも孫でも、アスファルトの黒も、コミュニティの白も、インディオの竪穴式住居の中も、北はオイアポケから南はシュイまで、 オレ達は緑と黄色の正統芸術、つまり、カーニバルと連ドラを追い求め、そして、その中に自分の姿を見ようとするんだ。

それではオレと一緒 に、こっちへおいでよ。今日はオレはテレビドラマだ。サンクレメンチの視聴率はうなぎのぼり。常にノーカットだから!連ドラにつぐ連ドラ。こうして50年 近く、このフレーズが続いている。「静粛に。収録中」と。しかし、今回はこうなるのさ。「賑やかに。サンバ中」と。さあ、またオレに注目して損はないぜ。

オー プニング、伏線、本筋。ドラマのプロットは、お約束の繰り返しだ。現実はこの魔法の鏡が映しだす世界を模倣する。突然の妊娠、天才的な子供、逆境を乗り越 えて明るく暮らす少女、登場人物の半分が働く家族経営の企業、死の間際に明かされる秘密−あの威勢のいい女が実は訳あり商売だった、あの男はアッチの趣味 だった、あの誠実そうに見えた男が実は悪質な収賄をやっていたなど。共感を得られる、ウケる、流行るものだったら何でもアリ!金持ちの話でも貧乏の話で も、現代の話でも過去を振り返る話でも、未だ存在したことのない時の話でも、今後とも存在するはずのない王国の話でも、海沿いの漁師でも内陸の牛飼いで も、田舎の人でも都会人でも。アーキタイプ(元型)は不滅の存在として、オレ達の心に残り続ける。死んでしまったキャラクターにしても、消えてしまうこと は決してない!実に多くの有名な友人たちが、ブラジル人の感情的記憶領域に棲息している。誰でも親戚の中に、あれやこれやのドラマの登場人物的なキャラが (時には名前まで同じで?)いたりするもんだ。突然発現したカリスマ性をもったキャラにせよ、いたずらキャラにせよ、極悪キャラにせよ、全て最後はうまい 具合に収まる。結局はその辺で出会うタイプなんだから。

テレビ的な刺激を受けた感情がサプカイに登場する。今日、サプカイは夢の製造工場 を映す画面となる。視聴者が選ぶもう一方のチャンピオンの到着を告げる。信頼性と正当性でブラジルの先頭に立つドラマという産物、、、皆、ただ見るのみな らず、その定番の台詞をチューインガムのように口に蓄え続け、オウムのように繰り返す、どう見てもただの遊び道具とみなすことなどできないもの、、、それ を我らがエスコーラはサンバで表現する。どの角に行っても、こっちで「インシャラー、ムイント・オウロ!(『神ノオボシメシニヨリタクサンノ金ヲ!』−ド ラマ『オ・クローニ』に登場するアラブ系キャラの台詞)」、あっちで「ナ・ショーン(『サラ地ニシタルワ』−ドラマ『ハイーニャ・ダ・スカータ』に登場す るアルメニア系キャラの台詞)」だ。オレは正しい?間違い?とにかくオレには言える、、、この(ほぼリアルな)魔法の世界の住人達と同じように話し、同じ ような服を着て、同じような髪形をして、同じような化粧をする人たちが、流行をつくり出して、何千もの市民を(アイライナー、マスカラバンザイの)ジャー ヂやマーヤに変身させ、メディナやらサラマンダイア・マルタやらに暮らしている気にさせたんだ。露店をちょっと覗いてみればわかる。ディスコに行くなら、 力いっぱいのジャンプやラメ糸の靴下も欠かせない。テレビのキャラクターが巷にあふれていれば、それはそのドラマが「勝った」しるしということだ。

何 か例示をと考えれば、すぐにいくつか浮かぶ。ブラジルとある売春宿、スクピーラはブラジリア、オドリコ・パラグアスは国会に暮らしてる!ジョアン・コラー ジェンは、3人のグローリア・メネゼスの内の誰と一緒になったんだっけ?ハヴェンガールはバレンチーニ王女とくっついた?ガブリエラはナシーブさんを裏 切っちゃいかんよな。わー、ペルペトゥアってハゲだったんだ、チエタがカツラをはぎ取ったし。ナターシャってのは、随分色っぽい吸血鬼だったな。イザウ ラって、白人の奴隷ね。最後にもう一回、オデッチ・ホイチマンの疫病神、つまり、愛しのサロマォン・アヤーラを殺したのは誰だっけ?皆の心に生き続ける 「ブラジルの恋人ちゃん」みたいなのは、いい悪役がいないとあり得ない。この世の写し鏡であるこの世界では、善と悪とは双子みたいなもの(フッチとハケウ みたいに)。現実と違うのは、おデブのドナ・ヘドンダが爆発したり、死んでも生き返る人がいっぱいいることぐらいだ。

どういう結末になる のか?最終回は、全国的な盛り上がりを見せる。テレビの前にくぎ付けのブラジル全土に勝手な意見が飛び交う。悪者が罰を受ける(死ぬ、狂う、後悔する、逃 げる)。そして、若造とヒロインの結婚式(最後にならないと一緒になれない)のシーン。ブラジル人は誰しも、ドラマ作家の要素を少々備えており、終わり方 にケチをつけることさえあるが、それも対して重要なわけではない。同枠の次のドラマのシーンが流れ、来週の月曜日にまた全てが始まることと、第一話を見逃 すなということを伝えてくる。

オレ達はジャネッチとヂアスの子供で、イヴァンニの甥なんだ。

どうか神が、祝福されたサ ルーが、プラチナのビーナス(グローボの愛称)が、素晴らしき作家たちを生み出すことをやめませんように。こうした夢の種をまく人たち、クリエーターたち こそが、オレ達庶民に喫緊の問題(ドラッグ、エイズ、未成年者の労働、クローン、農地改革、政治腐敗、マイノリティ、人種問題など)を知らせてくれて、皆 に自分たちの素晴らしい生まれつきに気づかせてくれる。ブラジル人は皆、劇作家的で、その人生がドラマそのままのようなオープンエアの作品だってことを。

文: ミウトン・クーニャ(構想: ホベルト・アウメイダ・ゴメス)
カルナバレスコ: ファビオ・ヒカルド



(サンバ・エンヘード)
作: ガブリエウ・マンシーリャ、ネウソン・アマトゥッツィ、ヴィクトル・アウヴェス、フロリアーノ・ド・カランゲージョ、ベト・サヴァンナ、グギーニャ、ファビオ・ポルトゥガウ

今オレに電話してきても無駄だ
テレビに張り付き中だから
昔ながらの愛の物語
それがオレ達の自慢
椅子を並べ直せ、来たぞ、、、サンクレメンチが!
鏡の中で、魔法は世代を超える
大いなる感動の秘法がオンエアー
勇気だ、兄弟、この旅路
製作物をなぞる人生のドラマがある
民族とその旗をめぐる戦い
どこにも満ちる愛と笑い

踊れ上手に、踊れ下手でも、止まらずに踊れ
ロックさえサンバしたい、、、遊び道具じゃないぞ
オレは金ガ欲シイ、10点ガイッパイ欲シイ、神ノオボシメシニヨリ
テレビ画像に映る大スター

オレが夢中になったのをよく覚えている
あの官能的なモレーナのガブリエラ
燃える女チエタ、甘美なイザウラ
とても美しい白人の奴隷
ボーリ・ボーリで見なかった人なんかいるのか?
ドナ・ヘドンダは爆発した!
カツラを抑えろ、ペルペトゥア
オデッチ、キミの時が来た
ブラジルが止まった!誰が殺した?
オレの読み通りの展開で終わるぞこれ
悪者にチャンスはなく、ハッピー・エンド

ほら、誰が来たと思う、若旦那マルタ
未亡人ポルシーナがムラータばりにサンバして
他にも不朽の名人たちが登場する
サンクレメンチの画面に

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